2021/04/04
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ヨーガの専門用語で非暴力を意味します。暴力や無益な殺生はいけませんよ、やめましょう、という平和的な意味です。
また、非健康的な習慣や、自虐的な行為もまた、自分自身への暴力とされますので、健康法や精神性の向上に有益な情報も発信していきます。
以下、簡単な略歴です。
2007年〜 この頃から原因不明の咳に悩まされる
朝から晩まで空咳が続き、数年がかりで病院に通うものの改善せず、喘息を申告される。
その間、処方されるステロイド剤は増える一方で、暗いトンネルを進んでいるような気分。
2008年、宮沢賢治のビジテリアン大祭を読んで一時的に肉、魚、卵が喉を通らなくなる
動物性食品全般を口に運ぶと吐き気をもよおす。
それまでそういうことは一度も無かった。 しかし、野菜しか食べないのは健康に悪いはずと思い込み、小魚などから少しづつ
元の習慣に戻す。
大体、2週間程で肉類も食べれるようになったが、努力が必要であった。
2009年〜 太極拳を始める
未だ出口の視えない喘息のトンネルは、ゆっくり確実に体力を奪い体重もかなり落ちる。
薬のやり取りしかない病院に嫌気が差し、違う方向を模索する。
その中で太極拳がとても気に入る。それまでは、水泳等身体を動かすのは得意で、いくらかの武道体験もあり、
呼吸器、循環器は病んでいるが他は健康といった状態。
いくつかの教室、道場を体験させて頂き、一番動きの大きい、また指導者がもっとも強そうな団体を選んだ。
流派は陳式であり太極拳の源流。 さらに細かくいうと新架というもの。
以降、太極拳以外にも様々な流派の武術を教えて頂き、
のめり込む。
2010年〜 気感を知る
私の入った太極拳の団体は、いわゆる朝の体操的なそれをする処ではなくて、ちょっと硬派な風格があった。
まわりを見渡すと皆、空手や合気道に少林寺拳法、または別の中国武術の経験者や指導者が揃っていた。
そんな環境も良かったのか、期せずして気というものが感じられる様になってきた。
またヨーガに精通していた方の影響で、ヨーガの色々な情報を得て、武術越しにヨーガを意識するようになっていく。
2011年〜 いつの間にか菜食主義者に…
ヨーガでいうところのプラーナが感じられ、それを増幅することに熱中してしまう。
特に何も意識せず、ある時ハッと気付くと最後に肉類を食べた記憶がいつなのか分からない。
一度は、無理矢理に戻したワケだが、これも運命であろうと受け入れる。
すこぶる体調がよくなる。
喘息は何処に…
夢中になって武術の練習をして、美味しくて仕方がない菜食料理を食べているうちに、
あれだけ悩まされた、また生き方を変えるキッカケにもなった喘息はすっかり鳴りを潜めてしまった。
これらはリンクしていることだが、肉を食べないこと、キレイな気血が体内に流れることの重要性を
病気に悩む人に伝えたいと思うようになる。
病気にはむしろ感謝しております。
それ以降〜
プラーナ、あるいは丹田といった感覚を得ると瞑想が非常に捗り、気持ち良くて仕方がない。
肉を食べないことは動物への、また自己そのものへの非暴力であることを知り、肉食をしないことの大きな意味を
意識するようになる。 個人レベルでの健康法や美容法も、やがて大勢の意識がまとまり大きな力となるならば、環境問題は改善されるはずと確信し、
ひいては地球環境に微力を尽くしたいという思いが強くなる。
とりあえず人は〜
肉を食べなくても死なない。どころか健康になり、活力が溢れてくる。
そこには犠牲がないのだから、当たり前だと思う。
この精神はそのまま、環境問題を大きく変える力があると確信している。
動物は自然の一環であって、決して工場生産品のように造られ、〆られ、食べられるような存在ではないはずです。
人類は本来、動物を守るべき立場なのではないでしょうか。
共存共栄、動物も人も一緒に仕事をして、お互いに養い合える世界を!