アヒムサー

アンコール遺跡の覚書と思い出、、、

time 2018/11/30

アンコール遺跡の覚書と思い出、、、

sponsored link

天空の楽園

16世紀においてわずかにこの地を訪れたスペイン人、ポルトガル人達がその崇高な寺院に胸を打たれたという記録を残して、1860年にフランス人博物学者アンリ・ムオーによって発見されるまでアンコールワットは長きに渡りジャングルの中に眠れる存在であったようです。

現在では多くの観光客で賑わう、この遺跡の美しさはアジアの至宝とも例えられ、実はあの「天空の城ラピュタ」のモデルにもなったといわれています。

国家と水

当時のクメール建築の技術では大きな空間に屋根をかけることは不可能であり、必然的に回廊に囲まれた外部空間ができてしまうジレンマがありました。

これをうまく利用したのがワット中心部の十字回廊からなる4つの沐浴場です。これらは王が水浴びをするためだけでなく宗教施設としても設計されていて、神の住む楽園にある聖なる池を見立てたもので、クメールの水源管理技術の高さを示し、水が池の四方に広がる造りは乾季にも充分農業用水を供給できることを物語っています。

つまりそれはこの地では水を支配するものこそが国を支配することを意味していたようです。

宇宙の中心

5つの門(南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門)に囲まれた、クメール語で大きい都市を意味するアンコールトム。

その中心、主要十字道路のちょうど交差点に位置するのがバイヨンである(美しい塔の意)。

12世紀後半、ジャヤーヴァルマン7世により建設され、バイヨンはアンコールワットとは少し違う。それはこの寺院が仏教の信仰にもとずいているからで、ちょうどアンコールトムの中心に位置するバイヨンは古代インドの神々が住む聖域であるメール山(須弥山)を象徴したものであり、アンコールトムが宇宙そのものということになる。

バイヨン

 

四面の微笑み

数あるアンコール遺跡においても仏教的な雰囲気を持つバイヨンはどこかおとずれる人をなごます優しさがあるます。

中央堂を含む、塔の四方には四面の顔を持つ人面像が微笑んでおり、これらがあらゆる人々を救い、あらゆる願いをかなえるという、観世音菩薩をモチーフに造られたものであります。テラスに49、塔門も含めると54あるこれらの人面像はその静かな微笑みでこの地の人々を今もなお癒し続けています。

造形のドラマ

アンコールワットの壁画
アンコールワット(ヒンドゥーの宗教施設)の第一回廊は正に壁面の劇場といえます。
一周、約800mからなるこの回廊はそれぞれの面には2つに分けられた合計8つの壁画があり、 それらはヒンドゥー教を代表する神話や物語で西から王族の戦い「マハーバーラタ」、猿軍と悪魔軍の争い「ラーマーヤナ」、南にスールヤヴァルマン2世の行軍「歴史回廊」、死後の世界を表した「天国と地獄」、東にヒンドゥー教の天地創造神話「入海攪拌」、大蛇の胴体で綱引きをしている「ヴィシュヌ神と阿修羅の戦い」と続き北の後世に描き足されたとされる「クリシュナとバーナの戦い」「アムリタを巡る神々の戦い」と呼ばれる不老不死の薬を巡る作品で結ばれ、天国と地獄といった物語が極めて精巧に描かれています。

壁面の女神たち

壁面の女神アンコールワットの第二、第三回廊を始めアンコール遺跡の各所を飾るデバター達。

何世紀もの時を超え来る者を惹きつける妖艶なたたずまい。

彼女たちは全て実在した女官をモデルに作製されたという言い伝えです。

それゆえ1つとして同じものはなく思い思いのポーズで美しさを競い合っているかのようです。

メコンのヒトラー

サロト・サル、通称ポル・ポト。後にメコンのヒトラーとも呼ばれた男。

クメール・ルージュを率いて内戦を治めるが、政権を握ったポル・ポト派は毛沢東思想を追求した共産主義で国内に再び大混乱を招く。

彼らによる政策とは市場・通貨の廃止、政治と農業以外の学校教育の廃止、宗教の禁止などそれまでの伝統、価値観を無視した恐怖政治を断行したものです。

さらに完全なる農業国家を目指し、都市住民、知識階級、裕福層の国民を対象大虐殺を敢行。その数約200万人、実に国民の4分の1以上が犠牲となってしまいました。

アンコールワットを撮りたい、できればクメール・ルージュと一緒に。地雷の位置もわからず、行き当たりドッカンで、最短距離を狙っています……

※フリーの報道写真家として2年間、バングラデシュ、ベトナム、カンボジアの激動地帯を駆け抜け、26歳で倒れた青年の鮮やかな人生の軌跡と熱い魂の記録。

小さな背中に機関銃‥‥

シェムリアップのキリングフィールドそして、この国には常夏の地にして冷気漂う場所が点在しております。

キリングフィールドと呼ばれ、ポル・ポト派による血の粛清が行われた旧処刑場郡であります。

プノンペンにあるトゥールスレン東洋のアウシュヴィッツとさえ例えらており、

当時、そこで処刑を実行していたのはアンカと呼ばれた少年、少女達で、なんと彼らの大半が10代半ばにも満たない子供達であったという話です。

彼らは密告すること、人を殺すことで喜びを感じるように国家に洗脳されていたマシーンとなっておりました。

前を向くカンボジア

アジアの近代史上、もっとも悲しい歴史もっとも美しい城と同じ場所に存在しています。

そして、今も撤去しきれない地雷によって脚を失ってしまっている人々を散見いたします。私がキリングフィールドを訪れた時には、そこで従事する若者たちの姿をみてひどく胸が痛みました。

小学生に見紛う彼らの実年齢は18〜20だというのです。。
この記事はほんの数年前の記録から興したもので、現在発展し続ける彼の国は今も同じ哀しみを引きずっているはずです。

どうか、アンコール遺跡を観光される際は、つい数十年前には国の動乱の犠牲にて、多くの血が流れていることを忘れず、現地の人々には優しくしてあげてください。キリングフィールドを慰霊してあげてください。

 

名画キリングフィールドよりエチュード

sponsored link

« »

down

コメントする




レストラン

アヒムサーについて

アヒムサー

アヒムサー

アヒンサーと読んでください。ヨーガの専門用語で非暴力を意味します。暴力や無益な殺生を止めましょうという話を展開してまいります。 ベジタリアンのお役立ち情報や、旅行記なども合わせて紹介していきます。