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白隠禅師 内観の秘法

time 2019/08/09

白隠禅師 内観の秘法

白隠禅師は五百年に一人しか生まれ出ないと言われるほどの傑僧で、江戸時代中期の人。
臨済宗中興の祖と呼ばれ、神経病と結核治療の精神的治療法のパイオニアです。

おふじさん 霞の小袖 ぬがしやんせ
雪の肌へか 見度うござんす

とうたった白隠禅師であり、

日本に 過ぎたるものが 二つある
駿河の富士に 原の白隠

とうたわれた禅師です。
隻手の声の公案を残したことでも有名です。

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禅師の病気

禅師の病気は一般的には、禅の修行(公案)を詰めすぎて始まった禅病とされ、心火が逆上し重度のノイローゼ、内臓諸器官の不調和による不眠、衰弱などあらゆる不調和に襲われる失調症だといわれていますが、
坐禅(瞑想)に尋常じゃないほど打ち込む者に、訪れるこのような試煉は、ヨーガでいうクンダリニーの暴発に思えます。

クンダリニーのことは長くなるので、ここではこれでお仕舞いにしておきますが、意図せずに始まってしまった悲劇に違いなく、そういった概念を持たない法門からは気違いとされるだけ、八方塞がりだったことでしょう。

肺と心臓は焼け爛れるようで、

両手両脚は雪氷のように冷え、


恐怖に駆られ、夜は眠ることもできず、

夢と現を行き交い、


両脇は常に汗ばみ、
両眼からは涙が流れ続ける。

と述懐し、名医という名医から匙を投げられてしまい、絶望の淵に沈んでしまいました。

白幽子仙人

さて、針灸医薬に見放された禅師に、京都の白河という町の近く山奥に白幽という仙人が棲んでいることを聞きます。

その年は、なんと200~300歳。 この白幽仙人は医学にも深い知識を持っておられ、時に大変有益なことを教えてくれると。
白隠は鼓舞され、病体に鞭打って力を絞り出し、白幽仙人に会いに行きます。

白隠、白幽と面会

動物の通った跡すらないような、山道を乗り越え、禅師はついには白幽仙人のいる岩の洞穴に辿り着き、面会を果たします。
その時の白幽子は、
目を瞑り、長い髪の毛を垂らし、棗のようにうるわしい朱顔で草の上に坐り瞑想していたとあります。

禅師は、自らの病状を伝え、どうにか回復への道を示して欲しいとつたえます。
白幽仙人からは当初、断られたものの、禅師の切実な想いに同情を寄せ、何故に禅師がそのような禅病に陥ったのかを説明し、
回復への手立てとして二つの精神的治療法を授けました。

その一つが、内観の秘法
もう一つが、軟酥の法

二つともとても有名な精神的療法で、

セットで語られることが多いです。

内観の秘法

白隠禅師白隠の著書の中でも特に有名なのが、夜船閑話(やせんかんな)と遠羅天釜(おらてがま)

内観の秘法はその夜船閑話の白眉といったもの。

白隠の厳しすぎる指導は、

 

わずかな菜っ葉、蕎麦を食とし、

傍らで見るものは眉をひそめ、

鉄拳と打棒は骨髄に徹し、

鬼神でさえ泣き、

魔物でさえも合掌する。

とまで言われるほどで、修行中の弟子の中にも志半ばに神経、体力ともに衰弱するものが続出し、

師はそれを哀れんで、自分の若い頃、弟子らよりもっと苦しんだ時に白幽子より授かった秘法を公開したのでした。

それにより、各人ことごとく不思議な効果があらわれ、病の症状は消え、全快する人が増えたのでした。

実践、内観の秘法

内観の秘法は、病者回復の為の術ですから、寝床で練るものになります。

毎夜眠る前に、また目覚めた時に、

健康のこと、仕事のこと、人間関係などなど、日頃の心配事いっさいを出来るだけ手放し、

身体を仰向けに寝かせ目を閉じ、両手両脚を適度に拡げ伸ばしリラックスします。

その状態で、精神を自己の下腹に集中し、腹式呼吸に合わせつつ、

次の四句

一,わがこの気海丹田腰脚足心、まさに是れわが本来の面目、面目何の鼻孔かある。

二,わがこの気海丹田、まさに是れわが本分の家郷、家郷何の消息かある。

三,わがこの気海丹田、まさに是れわが唯心の浄土、浄土何の荘厳かある。

四,わがこの気海丹田、まさに是れわが己身の弥陀、弥陀何の法をか説く。

を繰り返しながら、下腹に精神を納めるように集中していきます。

禅師は、これを何度も何度も繰り返し、観念し、工夫する。

それによって、活力が下腹から両脚に充満し、神経衰弱や心臓病、肺病といった難治の病が必ず回復すると力強く言っており、

それが偽りであるならば、自分の首を持っていけとまで言われています。

※注、枕は低い方が良い。枕なしはベスト。



これは仙道

禅師はもちろん禅門の人ですが、内観の秘法及び軟酥の法のルーツは仙道でしょう。

四つの句の中で力強く繰り返される丹田。 自己の丹田こそが自分の

本来の面目(姿形)であり、

本分の家郷(本当の故郷)であり、

唯心の浄土(天国)であり、

己身の弥陀(仏)である。

つまり、禅師は仙道によって、病気を利用しこの機会に一気に悟ってしまえと、

治病させつつも、それよりも遥かに大きなものも獲得させようとしています。

丹田を自覚することは、、、

そのように、丹田を自覚できるようになることは、見性(禅における最初の悟り)そのもので、

白隠 丹田逆にいえば如何に難しい公案を突破したとしても、その証験である丹田が分からないというならば、それは真の見性とはいえないでしょう。

宇宙は偏在して中心がありません。 同時にそれは全てが中心であるともいえますから、宇宙の中心とはそれを求める者の両手両脚を拡げた中心になり自分の中にある、そこが丹田

仏教ではそれを全ての縁の中心として縁中と呼びますが、実際にその部位には自律神経の根本があり、食べれば消化し、遅くなれば眠くなり、キズつけば修復してくれるといったことを黙々とこなす存在のセンターです。

これを宇宙のリズムと呼び、今日はあれが食べたい、これを飲みたいといった大脳の欲望(エゴ)とは対極にある意識とされます。

それを掴む

丹田は身体のど真ん中、臍下三寸に位置するといわれますが、そこを切って中を探っても、何かが出てくるわけではありません。




ここから、

私の体験そのものを話します。 内観の秘法だけでなく、武術の功法など、あらゆる方法で私自身が丹田を得ようと努力したことの結果です。

元々は、性質の悪い病気を根治させたい一心で始めたことでしたが、いつしか病気のことも忘れるほど、

ただただ、四六時中、臍の下に意識を釘付けにしていました。

当たり前に何をするにも腹から意識をかけ腹でしてるつもりになる、、意識を腹を没入させた、そんな生活を1年数ヶ月したある日、男の私が妊娠でもしたかのように、下腹の中に異様に蠢く熱い々々、存在感が現れました。

腹の中に焼けた石コロが入っているような、燃えているという表現しか想いつかない熱感で、

同時に気分はやたらと高揚し、笑いが止まらないんです。腹の底から笑いがこみ上げてくる。

この時の感覚は私の人生の中の一つのハイライトでした。

しかも、それは高揚感こそ今はありませんが、変わらずに毎日、腹の中に火が付いているような感覚がハッキリあり心地の良いものです。



さて、病気自体は、丹田を追い求めている過程で、かなり消えており、苦を感じなくなっていましたが、

それ以上に精神的に得たものが大き過ぎて、うまくは言えないですが、

この丹田を自覚できるかできないかは、修行者にとってはまさに天地の開きができてしまうのではないでしょうか。

 

逆にこれさえ自覚できてしまえば、病気はどんどん良くなるし、拡大された意識が日常になります。

わたしは後年、参禅の機会を得て、正式に見性も認められました。

 

ヨーガでもこの部位が目覚めていなければ、出来ない修行があり、

また丹田が活性化しておらず、判断を頭にまかせている状態では、人は簡単に洗脳されてしまうともいいます。


※この訳者は間違いなく見性しているのが分かる。

病中の工夫ほど尊いものはない

禅師のように修行を詰めすぎて、修行どころじゃなくなった者が、この内観の秘法によって、一気に修行を進めてしまうのは、何も昔話ではないでしょう。

かえすがえすも、もったいないのは病気になって、すべて終わってしまったように暗くなってしまうことです。 病気が転じてこのようなことも往々にしてあるので、病気は神様からの贈り物、天は乗り越えられない試煉を与えずの精神でいけば、考えられないような悦びもありますので、内観の秘法は病人じゃなくともおすすめです。

次回は内観の秘法と双璧をなす軟酥の法も説明したいと思います。

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アヒンサーと読んでください。ヨーガの専門用語で非暴力を意味します。暴力や無益な殺生を止めましょうという話を展開してまいります。 ベジタリアンのお役立ち情報や、旅行記なども合わせて紹介していきます。