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日本にきたガネーシャ、聖天さま

time 2019/10/29

日本にきたガネーシャ、聖天さま

聖天さまという神様を聞いたことがあるだろうか、天というのは仏教の中でもヒンドゥー教由来の神々で、観音さまやお地蔵さんなど菩薩の位ではなく、またお不動さんのように明王という位でもない天部というものに属する。

その天部の中でもひときわ魅力的で怖いのが聖天さま。
聖天さまとはどんな神様かというお話です。

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天部

天部とは、仏教の中で〜天の呼び名を持つ神々の総称。 有名なところでは七福神のうち毘沙門、大黒天、弁才天などから柴又の帝釈天などであろうか。
一般に仏教では、人間の次に天がきて、その上に菩薩または明王そして如来とくる。 この階梯のうち菩薩(明王)以上は既に輪廻の迷いから解脱している仏であるが、天はまだ人と同じく六道輪廻の中にいて解脱には至っていないとされる。
人〜天〜仏の序列になるが、天とは神さまそのものなので、人間とは比べようの無い程の力と寿命を持ち、仏法の守護がお仕事となる。

人間にとって

そんな天部の神々は我々人間にとっては、ほんの一つ上の上級生。

或いは上司のような存在ともいえなくは無くて、こちらから何かお願いがあれば、通りやすい距離に居て、また菩薩や明王はこちらが仮に罰当たりなことをしても、その高い境涯ゆえ決して罰はないとされるが、天部はそこは厳しい。

容赦なく罰が降り痛いおもいをさせられることもあるが、しかし逆もまたしかりで、人生に行き詰まった時など、どうしても状況を打破しなくてはならない時、天部の神さまは非常に頼りがいがあるとされる。


歓喜天

聖天さまの愛称で知られる歓喜天は、その天部の中でも、一際有り難い験があり、同時に降す罰にもまったく容赦がないようで、そのギャップが人を惹き付けるのかもしれないが、昔から政治や経済、相場または芸能の世界に信望者が多いのは、その力が偉大なことの証であろう。

この聖天さま、実はインドのガネーシャが由来となる。
ガネーシャといえば、シヴァ神の子供で福と勉学の神さまとされる象頭の神さま。 インドでは商売をする人たちからは特に敬愛され、タイでもまたピッカネートという名前で親しまれ、やはり福の神であり、街角ではお稲荷さんのごとく頻繁に見かける。

ところが、元は魔王、鬼神であって、暴挙を見かねた十一面観音がメス像に変化し仏法に帰依するよう促すと、身体を求められた。 そこで観音はそれを応諾するが代わりに仏の教えに従うことを約束させたのが聖天さまである。
故に、ガネーシャと違って二体の象頭神が抱き合っている姿で卑猥であるから、どこのお寺でもこれを人に見せることは絶対にない。 絶対にないどころか、勝手にその姿を見ようものならば命まで獲られるという、恐ろしい話が真実のように語られている。

この聖天さまの大きな特徴は信仰するものの願望を達成させる力が抜群に強いということ。 要するに願い事は多少無理なものでも叶わないことはないが、その無理を叶えて生まれた余裕を仏道修行に充てよというのが、この神さまの請願。

しかしそこを願い事はどうやら叶った、でもお礼はしてない、仏教など知らないという態度のものにキツい罰があるようだ。



聖天の験

そんな怖いけど頼りたくなる、聖天さまの鋭い霊験を語るによく使われるのが、「子孫七代の福を一代でとる」だろう。

ものすごい表現だが、専門の行者やお寺からキッパリと否定されており、確かに素晴らしいことが起きるが、未来の子孫の福をかき集めるようなことは無いので安心せよとされている。
むしろ二世の救いという、親子二代の利生記もある。 七代の福は、ただの例えとして広まった俗説だが、それぐらいの凄さがあるということなのだろう。

無駄に恐れる必要はないが、気を付けなくてはならないのは、粗相があってはいけない。
その道の専門家達からしても下記のような話まである。天台宗の瀬戸内寂聴のお師匠の言葉。

天台や真言の坊主は触らぬ神に祟りなしとばかりに天部は避けて通りよる。大阪の四天王寺にも聖天堂があるが、あそこの坊主は目をつぶって前を通りよる。それほど天部は怖いものです。今どきの人が聞くと不思議ですが、これは体験してみないとわからない。

※決して天部をナメてはいけません。

関東の霊場

待乳山聖天関東三大聖天とされるのが、待乳山聖天、平井聖天、妻沼聖天。

別段熱心ではないが、待乳山と平井は近所なこともあり、時々参詣していた。 妻沼には行ったことがなく、私的には深川不動の聖天堂なんか好きだった。

※待乳山聖天。 浅草駅から歩ける位置。というよりここが浅草寺の護り神。

待乳山の逸話

正直数えきれないぐらいの面白くて怖く、興味の尽きない話があり、どれがいいか迷ったが、そのうち私の好きな話を二つ挙げてみる。

江戸時代の大工の話

ある腕のあまり良くない大工がいた。 この男、聖天に祈願すればどんな大願も決して叶わないことはないという信念があった。 そこで葵の紋服(将軍家)が着たいと願い、待乳山に日参をした。

この男の中ではそのような無茶苦茶な願望でも21日間もお詣りすれば成就するという、根拠のない信念があった。
だが、もちろん江戸の時代に天竺の神に祈ったからといって、平民が将軍家に仲間入りするなんてことは有り得ない。

21日経っても誰も紋服を持ってこない。 男は失望し、、やがてその想いは聖天への怒りへ変わった。 そんな一日、彼は待乳山へ登って内陣に向かって「聖天め、人を馬鹿にしやがって、、、」とこともあろうか、履いていた下駄を投げつけた!!


力いっぱい投げつけた下駄は、手許が狂い外陣の梁にあたり、なんと男の顔に跳ね返って直撃、男は光を失った、、、。

盲者となり、葵の紋服どころか、その日の暮らしすら覚束なくなった男は生活の為に按摩となる。 そして、どうにか当代の名人の弟子となった。 しかし、2〜3年もするうちに門下には彼に並ぶものなど居なくなった。
釘を打つのも下手な大工であったが、針を刺すことに関しては天才的な腕をみせた

かくしているうちに将軍家に病気があり、彼の師匠が召された。 ところがその時、師匠もまた病床に臥せており彼が代理で将軍家に入った。 男の治療は非常な評判を呼び、やがて将軍家お抱え医となり、ある日葵の紋服が贈られた。

男ははらはらと涙したという。
光を失ってからの数年、自分の祈願のことは全く頭になかった。

無学の文筆業の話

男は46歳。 放浪の味を覚え、内地はおろか支那、満州、朝鮮と渡り歩き、その見聞を書いて生業としていたが、もともと学があるわけでも無く、手に職があるわけでもない。 貧弱な見聞が資本であり、それを書いてしまったらもうネタ切れ。
そこで、学問を始めるが、学問といっても雑誌学問というやつで手当たり次第に本を読み始めた次第。

政治、経済、宗教なんでもござれの乱読で、古本屋を漁る毎日。 本を読まなければ夜も寝られない、一種の気違いにまで昂じる。

ある日のこと、懐に十銭玉を2〜3放り込んで、二三軒冷やかしていると、よりどり三銭という屑本屋を見付ける。 山と積まれたボロボロの雑誌の中に二冊の和本が目に止まる。 どうやら、二冊とも聖天に関する仏典のようで神秘的な魅力を感じ買うことにした。

それから、丸一年、貧乏に貧乏をしてその二冊のことなどすっかり忘れていたが、いよいよ読むものがない、金もない、となると阿片患者のように、押入れに貼ってある新聞の切れ端にまで目を通す。 読書マニアとは本当にこのようなものだという。

何かないか、何かないかと駄菓子の紙袋の古雑誌まで読み切り、四辺を見渡し、ついに棚の上に無造作に置かれていた一年前の経本を見付ける。 「ありがたや~」、早速、寝床に持ち込んで送電まで止まっているから、ろうそくを寄せて読むのだが、「読む前に必ず手を洗い、同座に置くなかれ。一枚でも何かを敷け」とある。 男はふざけた気持ちでただし書きを無視し読み始めるとどうも落ち着かない。そうこうしているうちにろうそくまで倒れてくる始末。 恐れおののいて机に向かい読むことにした。

その本は昔の名僧が名家の者に贈ったもので、男は翌日拝読した本に水とろうそくを供えた。 折しもその日は一家に一粒の米なく一銭もなく、一家三人絶食を余儀なくされていた、その日の夕方、訪ねてくる人があって、なんとさる有名な文壇の老大家。

聞けばもう一ヶ月も男を探していて、こんどこれこれの本を出すに当たって是非アシスタントになってもらいたいとの由。 月々〜〜だけ支給する、失礼だが差し当たって困るといけないからと十円紙幣の何枚かを目の前に並べられた時には、おもわず妻と二人目は机上に祀った経本にいった。


しかし喉元過ぎれば熱さ忘れるで、ゆとりが出来てくると礼拝が疎かになる。そうなると生活も苦しくなり、苦しくなった時の神頼みで経本を拝む、するとどうでしょう。

夫婦で祈り終えて、元の座に戻るか戻らないかうちに「そら、池内さん、福の神が舞い込んだよ」っとアパートの主人が素晴らしい封筒を持ってやって来た。
みると移転料金何十何銭という一種の有価証券が復興局から通知され、再び夫婦で目を見合わせてびっくり仰天したとのこと。

〜中略〜

男はその後、映画を勉強したいという想いを持ち、なんのつてもないまま港町ならば機会があるかもしれないと横浜の某所に移る。 ところがその某所がまた聖天尊を祀る寺の真下であったことに勇気づけられ、そのちょうど一年後に見事に何万何千という人の中から伝手として渡米が許され大願成就するのだった。

充実したハリウッド滞在中にも乗っていた車にトラックが突っ込み、双方に相当な怪我人が出ながら男は無傷。
懐中には二冊の経本がいつもあり、その霊験は海外においてもいささかも衰えず却っていよいよその驚きが加わわる。

帰朝にあたって友人に手紙で適当に家を借りておいてくれと頼む。 そうして帰ってきた日本のその土地の名はなんと聖天町! すぐ目の前に聖天を祀る寺がまたしてもある!!
男は結局、聖天の膝元から出発し、また聖天の膝下へ帰って来たのであった。

※浅草聖天町。 待乳山聖天のこと。

興味のある方へ

聖天本私自身は、聖天尊に信仰を持っているわけではなく、ただ親しみがあるだけです。
また、専門の僧侶と付き合いがあり、尽きないおもしろい(怖い)話を聴いておりますので、人生の難所にぶち当たった人が、投げやりにならず、聖天さまを頼るのはとても意味のあることだと思っております。

もっと詳しく知りたい方は、以下の二冊を読むと良いと思います。 どんな窮状も救ってくれるかもしれませんが、特別な本でありまともに買うとプレミアで高いです。

聖天信仰の手引き

大聖歓喜天利生記 昭和新篇 第一巻 第二巻合本

あくまで見本としてのリンクですが、欲しい方はご自分で調べてみてください。 すべて御縁ということで、どこかでお安く手に入るものです。


※こちらは有名な聖天行者の著作。

清浄歓喜団

歓喜団歓喜団というお菓子を見たことや食べたことがある人も多いかもしれないですが、実はこれが聖天さま専用のお供え物であることは知らない人も多いでしょう。 
本来はガネーシャの好物のモーダカというインドのお菓子。

※写真は懇意にしているお坊さんがお土産でくれたもの。

なんと一つあたり¥700-ですからかなりの高級品。

何かの返礼などに使え、分かる人と聖天さまには非常に喜ばれます。
食べてみると、これがまた美味しいのですが、その味わいはお寺そのもの。
口の中に広がる寺院です。お線香をあんこやシナモンといっしょに食べてる不思議なかんじ、、、とでもいいましょうか。

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アヒンサーと読んでください。ヨーガの専門用語で非暴力を意味します。暴力や無益な殺生を止めましょうという話を展開してまいります。 ベジタリアンのお役立ち情報や、旅行記なども合わせて紹介していきます。