2021/04/04

太極拳をやり始めて10年以上経ちました。
ほぼ毎日かかさず修練してきて感じる心身の変化です。
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もくじ
太極拳のイメージ
太極拳というと何となく老人の健康体操をイメージする人もいれば、常軌を逸した絶技を振るう達人の姿を想像する人もいるでしょう。
両方とも間違っていないし、どっちも求められるものなのですが、武術として認識すべきもので技を練るうちに健康な身体がついてくるといった考え方が正しいし、夢があります。
太極拳は内家拳といわれ、自身の内蔵を鍛え、敵の内蔵を破壊するといった性格を持っています。 よって外家拳と称される外面的なダメージを負わせる流派とは対極にあり、緩やかな修練の中で大きな発力を習得する高級武術。そんな太極拳の神秘的な雰囲気に魅せられる人も多いことでしょう。
太極拳の種類
太極拳には五大流派というものがあり、
陳式太極拳
楊式太極拳
呉式太極拳
武式太極拳
孫式太極拳
太極拳は元々、今の陳式太極拳を一家の秘伝の武術として継承していた陳一族の住む地域、その名も陳家溝(河南省)から始まりますが、その一族からこっそり技を盗みながら仕えていた楊露禅という武術家が、ある時ついに技を盗んでいることがバレてしまいます。
ところが逆に熱意を買われ正式に弟子として迎えられることになり、
その時初めて、後の太極拳は一子相伝を外れ外の世界に触れます。
それを可能にした楊露禅はきっと人格者だったのでしょう。
北京にて
陳家溝は田舎です。 もともと腕に覚えのあった楊露禅は陳一族の武術をも習得し、大都市である北京にやって来ます。
そこで腕自慢たちと次々試合をするのですが、それまでにない武術の風格で楊は相手にダメージを負わせることなく、勝ち続け楊無敵の称号を得ました。
楊露禅の前に相手は無力になる、楊の掌におい燕は力を失い飛び立てなくなったと言われます。
これは化勁という太極拳の要訣で相手の力を流してしまうのですが、もの凄いレベルですね。
その後、楊露禅の拳法は太極拳と呼ばれ始めます。
実はそれ以前に太極拳の名称はなく単に陳一族の謎の武術として扱われていました。
楊と太極拳の名声はとどまるところを知りませんでした。
それから100年後
楊氏の繁栄とは裏腹に、陳一族の武術はもう終わりだといわれた時期がありました。
陳発科という正当な血筋に生まれた子供の時代です。彼は病弱で甘やかされ太った幼少期を送ります。
ある時、
彼の父も祖父も並ぶものがいないほどの達人であったのに、あの子の代で当家の武術は終わるのか、、、
という悲壮な一族の声を偶然耳にしてしまいます。 幼いながら大きなショックを受けた発科は突如として目覚め別人のように武術に打ち込みます。 このなまった身体の発科こそは一族最高傑物といわれる才能の持ち主でした。メキメキと頭角を表し20歳になる頃にはもはや誰も敵わない存在となりました。
北京
当時、数多の達人が綺羅星の如くひしめき合っていた北京にまで噂は轟き、招待されることになります。 ここでも発科は無敵の強さを誇りました。
その発科の武術こそ太極拳の原型ですから、陳家太極拳として、楊露禅のそれを楊家太極拳として扱われました。
太極拳を大きく分けると
前述の通り太極拳には五つのメジャー流派とさらに数えきれないほどの亜派が存在します。
それを大雑把に分けると陳式とその他という図式になります。
陳式を学んで一派を立てた楊露禅、それをベースに枝分かれしたのが呉式、武式、孫式その他です。
現在、中国各地の公園で体操として行われているのは二十四式太極拳といって楊式太極拳から創られたもの。
陳式とその他の流派は雰囲気が違い別物にすら見えます。
陳式の特徴
柔らかさの中に鋭く重い動きがあり力強く豪快な印象を受ける。
捻りの動作が多い。
楊式とその派生
ゆったりと柔らかく上品な雰囲気が漂う、美しい。
私が習ったのは
陳式です。
これで本当に良かったと思っています。
習い始めの当時、私は咳が止まらず困り果てていました。
3年も空咳が出続けていましたが、陳式太極拳を習い始めて半年に満たず完治しました。
それから、10年ちょっと毎日技を磨いていますが、練習すれば必ず何か気付きがあり飽きるということがありません。
陳式に関わらず(太極拳に関わらず)、中国武術の良いところは套路といって踊り子の振り付けのように型練習が一人でできること。
自分と自分との対話の中で良い部分と悪い部分が見えてきます。 そこに勝ち負けはなくストレスもない。
これが碁やチェスならば、白か黒で甲乙をつけ一方が喜びもう一方が涙する。。
そうではなくて、太極拳の使い手はその両方を包んだ盤なのです。
とはいえ強くなれるのか、、、
武術ですから、のめり込んでも弱いままではいけませんね。
特に護身としてそれが役に立たなくては虚しい自己満足になってしまいます。
以下は私に本当にあったことです。
ある時、都内某繁華街、酒席において隣合わせたチンピラと話が弾みました。
彼は武勇伝と政治の話を好み、気分良く身の上話をしてくれていましたが、次第に共感が持てなくなり、それが私の態度に出ました。
彼はキレ気味で私を挑発し始め、私も酒で気が大きくなっていました(油断している)から、
面倒くさそうにあしらい、ジョッキを傾けた瞬間、真横からコメカミに
ドゴン!っと強烈な頭突きを貰いました。
その瞬間、眼の奥で火花が散り意識が遠退いて行くのが分かりましたが、同時に瞬時に戦闘モードに入ったようです。
無意識に私は三発チンピラを撃ち、動けなくなるのを確認して正気に戻りました。
私の油断しきったところに一撃を入れたチンピラは慣れていたし、その一撃で私が飛んでしまったらそれまで、、、の紙一重の話ではありますが、
武術を学んでいなかったら絶対にこのような対処はできなかったことは間違いないでしょう。
薄い意識の中でとにかく身を護れたことは師匠への感謝となりました。
東北虎
私の太極拳の師は中国東北部の元軍人です。
大陸にはトンベイフー(東北虎)という言葉があり、ロシアと朝鮮との国境である遼寧省・吉林省・黒竜江省の屈強な男達は全土から虎と呼ばれているようです。
先生は常々、片言の日本語でこういいました。 一生武術を使わないは良いこと、一日でも休むは悪いことと。
顔と拳の腫れた私をみてケンカをしたのはバレています。。
コトの顛末を話し、眉間にシワを寄せてそれを聞いていましたが、
ひとこと、、
勝ったか?
えっ!!!
勝ったのか!
はい、、、
なら良し^o^!
正直、そこなの〜っとw
普段、使うなという厳しい教えでしたが、使う以上負けるなということみたいですww
さて、非暴力不殺生を掲げるこのブログには矛盾のある内容ですが、
いざ我が身が脅かされた時に、それを護らないのは暴力に屈するわけですから、
護ることが非暴力であると思うのです。
相手が病気の場合も同じ、自分を殺してはいけません。
太極拳によって培われるもの
- 柔軟な身体
- リズム感
- 健康な身体
- インナーマッスルの強化
- 心肺機能の向上
- 気感
- 師と仲間たち
- 上記の総合としての精神力
およそ日本人が絶対にとらないであろう体勢の連続です。
それらを緩やかな音楽に乗せて演じるかのように身体に覚えこませます。
終始、低い体勢をキープしていますから強靭な下半身が作られますが、不思議なことに私の場合手脚は細くなりました。
筋肉も脂肪も余計なものは落ちて、残ったものの性能が上がるようです。
脚が強くなると呼吸が楽になります。 よって、激しい運動が厳しい喘息の方、狭心症の方には特におすすめです。
私がそうであったように、内家拳にのめり込むと肉が食べられなくなる人がいます。
これは、良い兆候で身体のセンサーが鋭敏になり、それまで感じられなかった気というものが分かることもあるでしょう。
何より武術を通して結ばれた絆は固い。
学生時代のように毎日顔を合わせる友人たちも良いものですが、
同じ目的を持ち同じことを学ぶ仲間たちというのは尊いものです。