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ヴェジタリアンとして10年経過して

time 2019/11/23

ヴェジタリアンとして10年経過して

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ヴェジタリアン&ヴィーガン

菜食に転じて10年経過していました。
その間、日本のヴィーガン&ヴェジタリアンシーンもは静かに変わり、生き方の選択肢も随分増えてきました。

ところが同時に、〜年続けたヴィーガンをやめましたという調子を綴るブログ記事もチラホラ目立ってきました。
やめる人継続する人、何が違うのでしょうか。

私自身の10年を振り返りつつ、ヴェジタリアンであることのメリットとデメリットを挙げてみようかとおもいます。

10年前までの私

食べるものに関しては、決して無頓着ではなく気を使っていました。
いわゆるジャンクフード&ドリンクには手を出しませんし、ファミレスみたいな食堂にも殆ど行ったことがありません。
口に入るものは、ちゃんとした素材でしっかりと料理されているものを好みました。

が、身体はあまり強くありませんでした。
さらに矛盾するようですが運動は好きで、174cmの60キロ。脂肪はあまり有りません。
一見すると、病気とは無縁に見えると思いますが、風邪を引きやすく、循環器系が弱い(これは肺活量とは違います)。

咳が三年も止まらない状態に一時なりました。

薬をやめてみた

当初、医者は咳喘息の見立てで、喘息と同様のステロイド剤にて窮状を凌ぐが、早晩良くなってくるでしょうという話でした。
咳喘息は喘息とは違い、咳は出るが喘鳴が無い。それが、喘息に移行するのは三割ほどだそうです。
しかし、三年も続くと咳を抑えるためのステロイドは増える一方で、医者に対する不信感も出ます。
ここで、初めて医者任せではなくて、自分の身体を自分でコントロールしようと強い意志が生まれ、薬をすべて棄ててしまいました。


肉が口から遠ざかる

薬をやめて様子を診ましたが、実のところあまり変わらない。 薬は半分精神に依存していたようです。
とはいえ、コホコホッと四六時中空咳に悩まされている身ですから、薬にかわる手立てとして太極拳などのスローな運動を選び、毎朝陽の光を浴びて早寝をする生活に切り換えました。

程なくして気付いたのは、肉を食べていないということです。 おそらく、2週間ほどは食べていないことに気付きました。

それじゃイケナイと、早速近所のベーカリーにて白身魚フライのサンドを購入。 口に運んでみたら、ウッと嘔吐感が走り、とても食べられない。 魚の匂いがキツいんです。 以前にはない感じで、知らず識らずのうちに、体質が変化していたようです。

菜食主義者となる

動物性食品も食べないとバランスが悪いという意識が強かったので、食べる努力もしてみました。 しかし、ことごとく喉を通らない、口が開かない。
そこで初めて、いっそヴェジタリアンになるかと。
こうして、謀らずに菜食主義者の末席に座ることとなりましたが、この変化は人生において覚醒という言葉を使っても大袈裟ではないほどの恩恵を私にもたらしました。

病気が治る

私も当初は菜食主義というもの対してに弱々しいイメージを持っていました。 ところが自分がそのヴェジタリアンになって驚いたのは、活力が湧き上がり疲れ知らずになってしまったことです。
植物性食品の消化代謝は早い。おそらく多くの人が疲れを感じているのは、一つには食べ物によってです。
食べ物が養生になるどころか内臓から疲弊を招いている状態は、やめてみて初めてしっくりくる気付き難いものです。

菜食さらに玄米のような全体食は、精白された米や部分的な切り身の食事と違って、血糖値も上がらず内蔵の働きが均等になってくるのでしょう。 部分的な疲れが全体を引きずるようなことがなくなっていると思っています。

さて、三年続いた頑固な空咳は、菜食にしてものの数ヶ月で鳴りを潜めました。 特に白米を玄米に換えたことで便秘気味だった体質は一変し、どんどん出る! そうなると睡眠の質も非常に良くなりました。

食べることは運動

食べることは内向的な運動といえ、偏ったものばかりを食べるのは、特定の箇所ばかりに負担がかかりますから、糖尿病などの危険性が生まれます。

そこで菜食かつ全体食に努めると、これまでの負担から解放され驚くような体調を手に入れることが出来るでしょう。
私がそうであったように、人によっては菜食に転じた最初の2年ほどは、宙に浮いているかのような身の軽さを覚えます。

いくら食べても、動物性食品のように血を汚す心配はありません。


何故ヴェジタリアンをやめる人が現れるか

ヴェジタリアンになる人を大まかに分けると、

自己の健康面から

宗教的な理由

動物愛護

これが古くからある三大動機でしょう。

ところが、現代はここに

ファッション性

という第四の選択肢が加わりました。

健康に気を使っているわけでもなく、神との黙契があるワケでもなく、動物に同情があるわけでもない。

いや、在るのかも知れませんが、それら以前に表面的な自己満足を得る手段としての菜食になっていて、ファッション性が宗教になりつつある。

これは主義という言葉を使うような崇高なものではないでしょう。

特定のものを食べない流行であって、まだ食べているものをけなす相対的な優越感。

肝心の栄養の摂り方などは疎かになってしまっているのでしょう。

本来食べるものが限定されれば、その質は上がっていかなければなりません。

〜年続けた、ヴィーガンをやめた理由 などという記事が出てくるのは、流行に乗っていきなりヴィーガンになった人、最後まで肉食目線で菜食をしていた人だと思います。

ヴィーガン・フェスタも

最近人気のヴィーガン・フェスタに行ってみると、内容は肉を模倣したものばかりです。 ヴェジタリアンが肉の形をした料理を好むというのはおかしな話で、これはつまりターゲットは肉食者であって、菜食主義者の為のお祭りではないのでしょう。

しかし菜食の世界への橋渡しにはなるでしょうが、菜食を貫いているものが行っても食欲を無くすという本末転倒な話になりかねません。

これが、仏教やヒンドゥー教の根付いた南方の国では、話は全く違って菜食料理に肉の雰囲気などは必要ありませんから、本当に気楽に美味しく食事を楽しめます。

食事は楽しまないと、どんなにカッコよく映っても続かないでしょう。

ジャンクヴェジタリアンが多い現状

ファッション面から入った人は、健康面に目を向けないと身体にガタがくるので注意です。 それならばまだ少々の肉類を食べていたほうがバラエティがありますから体調が保てるでしょう。 一般に口当たりの良いものとは栄養価の高い部分を捨てて、脂肪や糖質の多いところだけを集め塩分で味付けするような、栄養度外視の食事です。

菜食にして何年〜爪や髪がもろくなった とか 数年ぶりに肉を食べたら身体が甦った などの報告者はこういう傾向のあった人達かも知れません。

過度に料理(加工)をすると味は整っても、栄養価は減ります。

そういう意味で、非完全食のヴィーガンとはちょっと危険かも知れません。

ヴィーガンである、でも好物はヴィーガン仕様のラーメンです。それじゃ体調は崩れてしまうでしょう。



未精白、生物が大事

菜食に転じて体調を保つ保証は、ホールフードにあります。

玄米や黒砂糖といった未精白のものに必ずシフトしましょう。 全体食では身体の全てに与えられる栄養素が整っていますから、消化、代謝する体内の器官も均等に働き、一箇所が疲弊するようなことはありません。

菜食主義になるのは難しく、菜食主義をやめるのはもっと難しいという言葉があるそうです。

最初の菜食主義になるの動機も大切だと思いますが、食べ物にあまり流行り廃りを持ち込んで、それに合わせた病気を得ていたら身体がいくつあっても持ちません。 必ず未精白食品を何か一つは摂るようにしましょう。

と言いつつ全ては良くなっている

ファッション的なヴェジタリアンは特に健康を害しやすいと言ってきましたが、こうして若い世代の人達がヴェジ化していくのは、動物からしてみれば救い以外の何物でもない筈です。

動物を食べる、着る、実験するの時代の終わりの始まりでしょうか。

フェイクミートやフェイクレザーの市場が勢いを得ています。

ドクターマーチンのビーガンシューズ

自然や動物からヒントを得て何かを生み出す。これが人間の正しい姿勢でそこに殺しがあってはいけません。

これまでは征服主義でしたが、同調すること、これが進むべき将来だと思っています。

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アヒンサーと読んでください。ヨーガの専門用語で非暴力を意味します。暴力や無益な殺生を止めましょうという話を展開してまいります。 ベジタリアンのお役立ち情報や、旅行記なども合わせて紹介していきます。