アヒムサー

菜食に転じるキッカケと宗教

time 2019/08/03

菜食に転じるキッカケと宗教

どういった理由で菜食主義者になるかは主に、

  • 宗教上の戒律
  • 自己の健康のため
  • 動物の痛みを抜くため

この3つに集約されてくると思います。
そこから現代は更にファッション的にといった、新しい感覚が生まれてますが、人間のやる事なす事ですから、もしかしたらそういうことも大昔から繰り返されているような気がします。

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宗教上の菜食

これは現在だとヒンドゥー教がまず最大の勢力ではないでしょうか。インドの約30%が菜食者というデータがあり、バリやインドネシアもヒンドゥー教徒が多い地域です。

次に仏教。 しかしながら、同じ仏教徒でも台湾、大陸の素食東南アジアの斎を守る人達がいれば、
日本のお坊さんのように当たり前に肉食している人達もいます。

これは、肉食妻帯をOKとした親鸞の意思とはまるで違うものでしょう。
親鸞は自らが肉食妻帯をすることによって、何も仏教は出家者のように必ずしも禅堂や山岳に籠もって、
修行せずとも、俗人が普段の生活のままでも出来る、そのままで菩提心を持つべきだとの励ましの自虐的行為であったはずです。

が、今や宗派を超えて日本のお坊さんは当たり前に肉食をします。

ただ、お寺の住職が檀家と同じものを食べ、奥さんもいる姿を見せるのは、仏教に対する親しみ易さにはなっている面もあるでしょう。

しかし、私が個人的な付き合いでお坊さん達と食事などすると、
”また精進か”と笑われることがよくあり、そんな時、わたしは内心、実は僧侶としての視えない資格がないのではないかと想ってしまうことがあります。

逆に在家の私が肉、魚、卵を口に運ばないのを視て、明らかに恥じらいの色を浮かべるお坊さんもいれば、

自ブログに、法事の帰りにトンカツを頂きましたなんて記事を上げている人もいて、もっと襟を正して欲しい気持ちが湧きます。

 



また、ヒンドゥーの方々とも接点があり、食事に招待してくれたりしますが、彼らは決して肉を口にはせず、そこは非常に厳格
日本の仏門とは、はっきりした対比が出来てしまいました。

しかし、もともとインドにおいて、バラモン(ヒンドゥー教の前身)達は動物を生贄にする文化がありました。
ですが、仏教が勢力を得て、農業も発達すると何も修行者は動物を食事にしなくても、まかなえるようになり、AD.300年ころ、「あらゆる肉食の禁止」をさだめた大乗仏教の戒律が成立します。

すると、バラモンたちは仏教のアヒムサーの気持ちに対抗するためには、自らも菜食に転じなければ示しがつかず、転身を図ったわけです。
それが、こんにちではヒンドゥー教はまるで菜食主義の元祖のようなイメージが出来ておりますし、実際に仏教側のお坊さんが堕落しているようにも見えてしまいます。

少林寺

武僧で有名な少林寺。

彼らを支えている食事は、完全なる植物性のもので、テレビなどで観ると大豆を使ったものが豊富な印象です。

身体に必要なのは、タンパク質そのものではなくて、それを合成するアミノ酸です。 肉を食べないと肉にならないという先入観はタンパク質が視点にあるからで、肉を食べても体内ではアミノ酸に分解されます。 それならば、良質なアミノ酸を持つ野菜の方が効率が良いともいえ、

菜食主義であるというとしばしば、それでは力が出ないとか直ぐにバテてしまうよなどと言われますが、そうではありません。

少林寺の僧侶達が日夜の武術鍛錬に耐えられるのは、食事が菜食であることが大きく、

動物性食品を取らないことによって、

  • 身体がより柔軟になる
  • 疲れが速やかに回復される
  • キズの治りが早い
  • バテない

などなどのメリットがあり、
これらは全て血がキレイであり代謝が円滑であることの証明です。

※少林寺三十六房。全てがカッコいい真の傑作! 幼少時、テープが擦り切れるほど視ました(笑)。

ISKCON

イスコンとはハレ・クリシュナの教会です。

近所に寺院があり私は足繁く通ってました。

バガバットギータの法話を聴いたり、ハレ・クリシュナ・マントラをみんなで歌ったり、ご飯を頂いたりしていますが、寺院ではそのようなことを毎日されており、

私の知る10年程の間でも多くの縁ある日本人の方々がクリシュナに心を奪われ、菜食になってゆくのをみています。

神に近付くことによって菜食になったのか、菜食になって神が近付いたのか、、、どちらなんでしょう。

宮沢賢治

「雨ニモマケズ・・・」は、賢治の没後に発見された遺作のメモ。
法華経の精神を綴っているとされ、最後に「そういふものにわたしはなりたい」で終わっているのが一般認識ですが、実はその後に「南無妙法蓮華経」お題目が続くそうです。
宮沢賢治
賢治の菜食に対する情熱はビジテリアン大祭でいかんなく発揮されておりますが、賢治の作品がおもしろいのは、それが法華経をベースにしているからでしょう。

法華経はまず構成がものすごくカッコいい。
法華経というすごいお経があるという話から始まり、全28品(章)からなる全てを読み終えたとき最後には何も残っていない、なんだったの??
その法華経の説明書こそが法華経であったというお経。

その内容もまた、25才の男が100才の男に対して、これは私の息子である、というような話が縦横無尽に繰り広げられたファンタジックな世界です。

これを話の上手なお釈迦様が霊鷲山で説き、天も人も動物もみな一同に集まり、無心に聴いたとされるお経。

賢治の世界観とよく似ています。

もしかしたら遠い昔に彼はそこにいたのかも知れませんね。

このように、宗教家や信仰のある者が菜食になっていくのは自然のこと、むしろそうでない現代の日本の宗教家たちには少し問題があるようにも思えます。

道教

陰陽道教(仙道)。

台北などで市井の道観にいる道士たちは、一般人と変わらない食事の人が多そうです。 ところが山岳で修行を続ける山の道観に入っている行者となると、非常に厳しい食事内容でヴィーガンはもとより、穀物すらとらない生活者が多く、なんでも生で食べてしまう、料理という観念からも離れているよう思えます。

仙人とはそのまま山の人と書きますが、食事内容からして俗人(谷の人)とは一線を画しており、一般人がいかにヴィーガンで慣らしたとはいえ、街中に住みながらそれを真似することは殆ど無理でしょう。

こちらも、武術を有し、少林武術と比べるとより内向的で体内のエネルギーの流れを大切にする、内家拳といわれる三派が主流です。

私の印象ですと、市井の道士は何でも食べますが、内家拳修行者には菜食の人が多いです。

神道

現代の神職の方々に菜食者はあまり多くなさそうですが、

本来は前記事のホツマツタヱの食事論が正しいと思います。

江戸時代後期より起こった、黒住、天理、金光、大本などの古神道諸派で菜食を奨励しないところは無いでしょう。



セブンスデー・アドベンチスト教会

さてキリスト教にも、菜食を厳守する団体があります。

セブンスデー・アドベンチスト教会ですが、
ヴェジタリアンを推奨する聖句があります。

「神はまた言われた、『わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。』」(創世記 1章29節)

「野菜を食べて互に愛するのは、肥えた牛を食べて互に憎むのにまさる。」(箴言 15章17節)

現在、もっともガンの人の少ない組織はセブンスデー・アドベンチスト教会で、
ナチュラル・ハイジーンに並ぶほど病気が少ないと聞いたことがあります。

おわりに

何教、何派であろうと、

宗教者は菜食の人が多いです。

しかし、現代日本ではむしろお坊さんや神官でも、肉食が普通で菜食が少数派というのはおかしなこと。

神仏に供えることの出来ないものを食べているんですから、困ったものです。

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アヒンサーと読んでください。ヨーガの専門用語で非暴力を意味します。暴力や無益な殺生を止めましょうという話を展開してまいります。 ベジタリアンのお役立ち情報や、旅行記なども合わせて紹介していきます。