アヒムサー

ヨーガ・スートラから読み解く菜食主義

time 2019/12/18

ヨーガ・スートラから読み解く菜食主義

私の座右の書、ヨーガ・スートラがどのようにヴェジタリアニズムに繋がっているかの考察です。

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ヨーガ・スートラ

ヨーガ・スートラとはヨガ修行の聖典、お経になります。
ヨガと一言でいっても様々なタイプがあり、一般に普及している体操主体のハタ・ヨガはその中の一つ。
これはヨーガの中の最高峰であるラージャ・ヨガ(王の意、瞑想のこと)の補助的な位置付けになり、体操だけで完結するものではなく、長時間の瞑想に耐えられる身体を造るものです。
そのヨーガ・スートラはラージャ・ヨガの経典であり、言及されるのは瞑想ですが、その瞑想を全うするにはハタ・ヨガ等で充分な体力を養う必要があります。

ところが、こんにちではその瞑想の大前提が抜け落ちて、ヨガ=ポーズになってしまっているのが残念なところです。
ただのポーズをきめるだけでは本来ヨーガ・スートラに示された8階梯の修行段階のうち、第三段階だけを摘み食いしてるだけ。
イビツなものとも言え、
健康の為にヨガを始めて却って腰や股関節を痛めたなどという例は順序を守っていないが為に起こることかも知れません。

何故そうなってしまったか

身体に良いはずのヨガで腰痛などに悩まされたら本末転倒ですが、8階梯のうちの一番と二番を飛ばしてヨガをしても、もしかしたら悪影響が及ぶ可能性があります。 下からステップバイステップで進んだ場合、すでに第三段階であるアーサナを行うに足る土台がありますが、現在スポーツ的に行われているヨガではそこは重視されません。

ココらへんが、ヨガを趣味とするか、仕事とするか、サーダナ(霊性修行、自分探し)とするかの差にもなってくると思いますが、純粋にビジネスや美容を離れてヨガを求めた場合、最初に護るべきは戒律になります。



※近世のインドのヨーガ行者によるヨーガ・スートラの解説、評価が高い。

ヨーガ・スートラの戒律から見るヴェジタリアンであること

ヨガを持ってこなくてもヴェジタリアンであることには無限の価値があります。 人が肉を食べないだけで、

  • それを生産する時に必要になるエネルギーが節約できる
  • 動物に痛みを与えない
  • 自分(環境)が健康になる
  • 性格が穏やかになる
  • etc

まだまだ、いくらでもありますが、それをヨーガ・スートラでは遠回しに戒律として定めています。


戒律とは何か

戒律とは、二つの相反する意味を持つ字をくっつけた一つの単語です。

戒とはするべきでないことはしてはいけません、、、ということ。
律とはするべきことは進んでしましょう、、、ということ。

これによって、人はヨガの道を歩む資格を得、心おきなくポーズや呼吸法に励むのがあるべき姿です。
そして、この戒と律がヨーガ・スートラの示す第一段階と第二段階となります。

禁戒と勧戒

戒律というとどちらかといえば仏教的な響きがありますが、実際には禁戒&勧戒と表現します。
禁止されるべきことと勧められることです。

この禁戒が非常に大切になってきて、
ヨーガ・スートラで定められた禁戒とは次の5つになります。

  1. 非暴力
  2. 正直
  3. 不盗
  4. 禁欲
  5. 不貪

このブログのタイトルであるアヒムサーとはこの非暴力よりとったものです。
が、およそ経典や聖典の類は、もっとも大切なこと、その経の言わんとする奥義こそが一番最初にあることが非常に多いのです。
(聖書の例、初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。)

例えばヨーガ・スートラ全体の構成は、第一章第一句が、さてこれよりヨーガを解説しよう、ヨーガとは心の作用を止滅することであると始まり、
前述のハタ・ヨガの経典である、ハタ・ヨーガ・プラディピカーの第一句は、あたかも階段のように行者をラージャ・ヨーガ(ヨーガ・スートラのそれ、瞑想)の高みへと導く知識から始まります。

最初に最高の境地を示し、後はそこまで至る説明文のようなものです。

然るに、ヨーガ・スートラでは第一章にて心を止滅し醒めた状態を説き、第二章よりそれには具体的にどうしたら良いのかを、今度は低いところから高いところへと細かく説明が始まりますが、ここでもやはり大切なこと程もったいぶらずに最初に示しています。

それが非暴力(アヒムサー、アヒンサー)
ヨガの入り口です。


※近世の日本のヨーギによるヨーガ・スートラの解説、非常に評価が高い。

ヴェジタリアンであることとは

非暴力こそはヨガの道の第一歩であり、それを護ることでその道は大きく開けることがヨーガ・スートラにより半ば保証されています。
それほど大切なことではありますが、禁戒を小難しく捉えてわざわざより難解にする必要はありません。

そこで、ヴェジタリアンへの隠れた誘いがあるワケです。

人がもし肉や魚や卵を食べなければそれだけでも、

  1. 動物に対して暴力がない
  2. 動物に対して後ろめたさがない
  3. 動物の身体を盗むことがない
  4. 欲望をコントロールしている
  5. 上記4つの総合として貪る心から離れている

といえるワケで、禁戒の全てに絡めるのです。



なので、ヨーガ・スートラは遠回しではありますが、明快に菜食主義であるべきことを説いているといっても過言ではないでしょう。
もちろん、世界中の真面目なヨガ修行者、愛好者たちは肉を食べない人が多いでしょうが、それとは裏腹にそれとこれとは別物だとする風潮は、ヨガが世界に広まった経緯にありそうです。

インドはイギリスの植民地でありました。
悲しいことですが、それによって世界に開けた文化ですから、当然まず西洋に入り西洋流に解釈がなされました。

この過程において、既に肉食とキリスト教が根付いた土地にもフィットできるヨガとしてハタ・ヨガが最適だったのでしょう。

それにより健康も享受できるのであれば西洋文明に受けること間違いなし、かつ既に信仰している神と食べているものを変えなくてもできるヨガだったのではないでしょうか。

仏教では慈悲を説く

同じくインドから興り、ヨーガの流れを汲む仏教では、ヨーガの8階梯を八正道といい、非暴力を慈悲と説きます。
慈悲とはエゴから離れた大きな優しさであり、エゴとは個人的な愛好のことです。

例えば猫が大好きな人がいたとして、その人は非常に猫を愛するけども、その猫はアメショーのオスで顔は潰れていて〜〜などとやかましい条件が続くようでは慈悲ではなくて単なる愛好に成り下がります。

そういう愛好が前提になる愛情とは個人的で浅いもの。

自らを満たした上で初めて猫なりを愛するカタチであり、歪んだ個人のニーズに応えるため商業的に作られる一匹の裏側に哭く100匹の陰がつき纏います。

犬猫のBOAS問題

ヨーガ・スートラのいう心の止滅とは、心とはエゴでありどんなに浄らかであっても、心というものが在る限り同時に残虐性を帯びるのは不可避である。
故に戒を護り修行し心の外側に出る努力をしてごらんと説いており、自分の心から自由になること、それをヨーガというとする一言から始まっています。

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アヒンサーと読んでください。ヨーガの専門用語で非暴力を意味します。暴力や無益な殺生を止めましょうという話を展開してまいります。 ベジタリアンのお役立ち情報や、旅行記なども合わせて紹介していきます。